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【感想】ミュージカル『刀剣乱舞』静かの海のパライソ2021【10/2夜・東京8公演目】

ミュージカル『刀剣乱舞』静かの海のパライソ2021、昨年3月に超えられなかった8公演目を見届けて参りました。

 

ご縁があり昨年3月にも観劇しているので、そのときの記事を参照しながら前回公演との違いなどにもなるべく触れられたらと思います。

 

※この先ネタバレを含みます

 

具体的な内容は「感想」からになります。Twitterまとめは現地での生の感想です。

 

 

過去記事など

昨年公演の記事はこちら

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関連記事

※「心覚」までのネタバレを含むことがございます

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Twitterまとめ

感想とグッズ系ごちゃまぜ。

 

 

まえおき

 

前回の座席位置……天王洲銀河劇場 2Fボックス 上手サイド最前

今回の座席位置……東京ドームシティホール3バル下手(A席)

 

場所からかなり違うので単なる見逃し、勘違い等もあるかもしれませんのでご留意下さい。

 

感想【1部】

キャスト

歴史上人物

※敬称略

 

セット、内容、キャストともに前回公演から大きく違う部分はありませんでしたが、全体的にテンポアップした印象。

 

先ほど確認してみると

前回公演……1部 2時間10分

今回公演……1部 2時間5分

※ライブは35分で変わらず

となっていたので上演時間そのものも5分短縮になっていた様子。

 

必要なシーンはしっかり描きつつもそれ以外の部分はテンポアップして夜公演がギリギリ21時(あるいはコロナ対策などで1時間早めても20時)に終わるようにしたというところでしょうか。

ストーリー(がっつりネタバレ)

※内容がやや前後したりすることもあります、記憶頼りなので……。

 

鶴丸が話を渋る主から任務を受諾し、その代わりに編成を任される。編制した部隊には出陣先を伏せて現地へ行くと、松井江が島原であることに気づく。鶴丸曰く「松井江の記憶が頼り」。

時間遡行軍に囲まれ天草四郎が殺されると鶴丸の発案で日向正宗、浦島虎徹、そして鶴丸自身が天草四郎を演じて史実で一揆に加わった人数と同じぐらいの人数、鶴丸曰く「とりあえず2万人ぐらい」を集め、その上で(島原の乱を起こして)歴史の流れを元に戻そうということに。殺された天草四郎に従っていた山田右衛門作を仲間に引き入れる。

3人をそれぞれ天草四郎に仕立てるため、日向と豊前鶴丸と大倶利伽羅、浦島と松井の3手に分かれて作戦開始。

鶴丸からのアドバイスは「困ったときはパライソといえばいい」。

 

日向・豊前

当初は鶴丸の方針に対してだんまりを決め込む山田だったが、刀剣男士に「どこの家中の者だ」といい豊前が「俺に聞いちゃいけねーやつ」、日向が「豊臣か石田ということになるのかな」と答えると「見せたいものがある」として二人に逆さひょうたんの馬印を見せる。日向がそれが豊臣の馬印であることを指摘すると山田は突如として太鼓を打ち鳴らし「大坂の陣で亡くなった秀頼公の忘れ形見、太閤殿下のお孫様」である「四郎様」として民衆を集め始める。

言葉を求められた日向が苦し紛れに「パライソ」というとひれ伏す人々。

日向は複雑そうな表情をしながらも手段を選んでは居られないと自らを諭す……。

 

浦島・松井組

この時代には刀としても生まれておらず、状況がわからない浦島。人を集めると言ってもどうしたらいいかわからない、と言いながら海辺を歩いていたが、鶴丸のアドバイスを思い出して「パライソ」と叫ぶと幼い兄弟がやってくる。

兄弟のうち弟はすぐに浦島に懐き、「おっかあに会いたい」という頼みに浦島も笑顔で「母ちゃんを探してやるからな!」と約束してしまう。

兄と浦島で会話する場面になって初めて兄弟の母が「一揆に参加しなかった」ことを理由に殺されているということが判明。これによって一揆が「弾圧されたキリシタンの蜂起」というだけではなかったこと、そして浦島がどんなに頑張ってもその約束が果たせないこと、兄はそれを弟に伝えておらず期待させてがっかりさせるようなことはしたくないと考えていることを知る浦島たち。それでも浦島は自らの兄である長曽祢虎徹が「鶴丸を信じろ」と言っていたことを理由に「パライソへ行こう」と無邪気に励ます。

日向たちのような大がかりなはったりはなくとも、浦島は浦島のやり方で人々に「合い言葉はパライソ」と希望を持たせ、仲間を増やしていくが、状況を把握し切れていないゆえに仲間にした人々がこれからどうなるかとうことにまだ思い至っておらず、無邪気に兄弟たちとも仲を深める浦島。松井は終始複雑な表情を浮かべ、合流したあとは大倶利伽羅も「あまり深入りをするな」と助言するが……。

 

鶴丸・大倶利伽羅

はったりが大事だ!といって石切丸から拝借した御幣を使いつつ「パライソ」という言葉を多用して民衆を扇動。

他の組よりも割り切って行動しているかのように見えた鶴丸だが、あくまで手段は選んでいられないという刀剣男士としての使命感によるもので……。

 

目標の2万人以上を集めたところで合流するが、異教徒であることを理由とする寺への襲撃や天草四郎へ疑念を抱き、一揆に参加しなかった人々に対する改宗および一揆への参加強要から喧嘩で終わらずに起きてしまった殺し合いを目の当たりにし、改めて一揆が一枚岩ではなかったことを知る刀剣男士たち。

鶴丸も「白と黒に分かれた戦なんてそう滅多にない、白の中にも黒が居て、黒の中にも白が居る、青だって赤だっているかもしれない。どちらにも。」(ニュアンス)といい、戦では敵味方の目的や考えが白黒はっきり区別されるものではないこと、白と黒の2つに分かれるとは限らずその他にも様々な思惑が渦巻いていることを説き、この島原の乱も「キリシタン一揆」であると同時に大坂の陣で敗れたかつての豊臣家臣下や他の理由で幕府側に不満を持つものがいたことを示唆。

それでも史実通りに一揆勢を率いて原城に立てこもる鶴丸たち刀剣男士。

鶴丸はここで自らを「指揮者」に喩え「俺はタクトを振るうだけ」と歌ってみせる。

そして幕府からの命で戦の鎮圧にやってきた板倉重昌を討ち取り、調子づく一揆勢。正気を失ったかのように「パライソ」と叫ぶ姿は何かに取り憑かれているかのよう。

作戦の一環として、鶴丸は戦のクライマックスである幕府からの総攻撃とそれに対する籠城戦に向けて松井江、豊前江の江2人を幕府側に向かわせる。

松井江が史実でも幕府方に居て、多くのキリシタンの血を吸った刀としてトラウマを抱えていることを知っての采配。

豊前鶴丸の采配に対しては感謝を述べ「向き合わなきゃなんねぇことだから……」といい、その過程で苦しむであろう松井を支えることを約束。

 

同じ頃、この一揆の動向を忍から聞いて「降伏しなければ撫で切りに処す」との手紙を一揆勢に向けて出した「知恵伊豆」のところに鶴丸が「話をしにきただけだ」といってやってくる。

知恵伊豆は会話の中で「戦はなくさねばならん」「戦という単純な暴力に頼った時点で戦で立ち向かうしかなくなってしまう」、「正すべきは政のほうである」といい、撫で切りにするといったのは「二度とこのような戦が起きないためには(徹底的にやって)皆が後悔しなければならない」からで、あくまで家康の願った太平の世を守ることが自らの責務であると話す。鶴丸もそれに理解を示し、「俺も誰かと共有したかった。もう共有できたから十分だ」「あんたはあんたの役割を果たせ」といって満足げに立ち去る。

 

いよいよ幕府軍の総攻撃。

板倉勢とは比べものにならない大軍に対して正面から戦うこともできず、籠城戦となり日に日に尽きていく食糧。

飢えと渇きに苦しむ人々に対して何か出来ないかと考えた浦島と日向が釣りに行こうというのを鶴丸が後押しし、場内の刀剣男士は鶴丸と大倶利伽羅の二人に。

鶴丸「浦島たちには見せたくないだろう」というと大倶利伽羅も同意する。

浦島たちがが釣りをしている最中、城の方で火の手が上がる。

 

城内ではすでに戦が始まっており、江の2人は幕府側の兵隊として乗り込んできていた。

松井江はやはり一揆勢(キリシタン)たちに囲まれ、斬りつけられても拳で振り払うか刃を向けることが精一杯で、任務であっても斬ることが出来ない。

顔に傷をつけられ、鶴丸に「刀剣男士やめるかい?」とまで言われていながら、迷いがある様子。浦島が親しくしていた兄弟にも石を投げられ、弟が立ち向かってくるが何も出来ないでいると、後からやってきた幕臣たちが躊躇いなく兄弟を斬り、兄は弟を守って絶命する。

浦島、日向も泣きながら兄を弔い、息のある弟はもののべとして忍に連れて行かれる。

兄の遺骸に対して二人は「よく頑張ったね、よく頑張ったね」「ちゃんと弟を守ったんだ」。

 

こうした光景を目の当たりにしてようやく刀剣男士の役割に向き合い、理解し、感情を爆発させて鶴丸へ殴りかかる。

一方でこの経験の中で松井は別人のように躊躇いなく刀を振るえるようにもなっており、豊前の望んだ「向き合わなきゃなんねぇこと」、すなわちトラウマの克服を果たす。

 

戦が終わったあと、鶴丸も三日月への思いを海に向かってぶつける。

「3万7000人!ただの数字じゃないんだ!!ひとりひとり生きてたんだ、命があったんだ!!全員救ってやれよ!!」(ニュアンス)

 

最後に鶴丸が本物の「天草四郎」から拝借してきたロザリオを兄の遺骸にかけ、幕府が何物でもなかった兄弟の兄を天草四郎として討ち取るよう仕向ける。

 

結構大事な場面は敢えて書いていなかったり、説明が難しいような場所は飛ばしていますが大まかな流れは以上の通りでした。

細かな人物関係の掘り下げは過去記事でしておりますのでそちらご覧下さい。

 

印象的なセリフ、場面など

「戦いは間違いだ」という言葉に対して

豊前「だったら戦いの道具である俺たちは間違いの道具なのか?」

鶴丸「考えても無駄だ、今はな」

 

牢屋にて「一揆を起こすに至った理由」を話そうとする山田に対して

山田「……聞いて欲しいことがある」

鶴丸「今からお前はこの戦をしなければならなかった理由を話そうとするだろう、そしてお前はそれを「真実」と呼ぶんだろう、でも俺にとって重要なのは事実だ。「真実」なんてものはどうだっていい!」(ニュアンス)

「一人で背負え」(低い声で)

 

向かってきた一揆勢(キリシタン)を斬ることを躊躇った松井江に対して

鶴丸「刀剣男士、やめるかい?」

にこやかにすごみがある表現。恐ろしい。

 

去年との比較、感想

やっぱり冒頭が一揆勢の歌から始まるのはレ・ミゼラブルの「民衆の歌」さながらでインパクト大。

変わらなくて良かったところ。

 

何より全体的にキャストの歌唱力、表現力に磨きがかかっていて、歌では帝劇にも立ったくるむくん(鶴丸)と歌手デビューもした牧島くん(大倶利伽羅)が圧倒的。

鶴丸は上手いだけでなく緩急も自在になっていて、より大きく見えるというか伸び伸びとやっているようにも見えて、冒頭の舞も過去作の三日月宗近と対比するようになっているとは思うのですが、また違うテイストの優雅さというか、三日月が正体のつかめない「寛雅」や「閑雅」というような浮世離れした美しさを持つとしたら鶴丸はもっと一本芯の通ったような印象で、軽口を叩いたとしても実際は真っ直ぐで地に足の着いたリアリストとして描かれていることにも通ずるものを感じたりもしました。

 

倶利伽羅はセリフが少ない分、力強い殺陣はもちろんのこと、こうして歌でしっかり見せ場を作っていくというのは刀ミュならではだな、とも。2部もすごいんですがそれはまたあとで。

それはそれとして初期の大倶利伽羅は多分、子どもと仲良くなる浦島を見ても声かけたりはしなかったと思うんですけどみほとせの後から若干態度が軟化したように見えるというか、言わない優しさよりも言う優しさみたいな方向性にシフトしたのか、だいぶ丸くなったなぁと言う印象もあったり。大倶利伽羅有識者じゃないので怒られてしまいそうですが、パライソの大倶利伽羅はどちらかというとみんなの兄貴分、先輩ポジションというのもあり、強いだけでなく優しさや面倒見の良さを感じさせるところが多いなと思いました。

 

キャストのデビュー作から知っていてキャラクター自体が推しという思い入れを抜きにしても、松井江はめちゃくちゃ良くなっててびっくり。

初演ではまだちょっと硬かったというか必死さがあるというか、きっと考えたことをガチガチに詰め込みすぎて余裕がなくなっちゃってる部分もあるんだろうな、という印象もあったんですが、今回はそうした印象もなく、1部と2部の中ではもちろんのこと、1部の中でもトラウマを克服する前と後での表情が全く別人のように切り替わる表現をしていたり、細かいところまでとても自然で、松井江そのものがそこにいて、本人が「今の自分のすべてを捧げる」とまでコメントしていたのも納得の出来映えでした。全体的に細かいところでの表情や声のトーンのメリハリ、切り替えだったりというちょっとずつ起きる変化の表現がすごく自然で、そこがかなり良かったのかもしれません。

標準語で喋ってたと思ったら感情が高ぶると急に方言に戻るのとか声色変わるのとかものすごくいい。多分そこが松井江の魅力の一つでもあるので緩急大事。

歌も前回より安定していて、殺陣もキャラクターの特徴として一番大事な肩にかけたジャケットの扱いが上手くなっていて、綺麗に舞わせながら斬って、納刀してという流れが美しくて、儚げなビジュアルで細腕に見えても実はものすごく漢らしくてめちゃくちゃ強いんだ、というところが伝わってきて嬉しかったです。

メイクも良くなってて本当にいい。

 

豊前は東京心覚にも出陣していたので大きく違うという印象は受けませんでしたが、松井に対する雰囲気は他の江とのやりとりを見た後だとまた違って見える部分もありました。

豊前は心覚も含め自分の来歴がはっきりしないことを過剰に悲観したり嘆いたりせず、むしろ自らの来歴故に苦しむ刀剣男士の背中を押し、引っ張る存在として描かれてきましたが、心覚では仲間を応援するだけでなく自らが汚れ役ともいえる役を買って出ることも厭わない姿を見せました。その上でパライソを見ると、豊前ももしかしたら来歴が明確でないことで居場所を見いだせなくなることがあって、だからこそ仲間を大事にしていて色々な役割を引き受けてアイデンティティをつくっていこうとしているのかもしれない、と思ったりして、パライソの時に本当に支えが必要だったのは松井江よりも豊前江だったのでは?という考えが浮かんだりもしました。

俺はお化けみたいなものなんだよ、と笑ってみせるのでごまかされてますけど実は一番儚い、危うい存在なんですよね……。しんど……。

 

何度見たとしても浦島に兄弟が殺されるのを見せるのは辛い。糸川くんがキラキラしていてとっても華やかな、笑顔の似合う役者だからこそもっと辛い。無邪気な笑顔があんなに可愛らしいのに爽やかだしどっちかというとイケメンという表現がしっくりくる。

浦島くん、絶対自分の兄弟を重ねてるし大倶利伽羅が思わず「深入りするな」と言うのも頷ける。でも、パライソの編成理由に松井江に限らずトラウマの克服や弱点の克服が含まれているとしたら、浦島の長所でもあり任務の上では心の傷を深くすることになりかねず弱点とも取れる優しさや情に厚いところを知っての鶴丸の采配なんだろうな、とも。

鶴丸のことなので、ここで悲しみをしっかり乗り越えられるようにならないと本当に立ち直れなくなるような任務があるということを知っていたりするのかもしれませんし。

そもそも浦島極の修行って結構ヤバいことしてるので……。(一歩間違えればアイデンティティ崩壊待ったなし、ネタバレの手紙は別のところで見てみて下さい)

兄たちの依頼の可能性もあるし、今後もし修行に出すんだとしたら厳しくせざるを得ないのかも、とも思いました。

それはそれとしてやっぱりあんまりだろう、あんなのってないよ!!!!

 

日向くんは本当〜〜〜〜〜に可愛い。が、しんどい。

メイクはそんな変わった印象ないんですが、よりドールっぽいというか浮世離れした、2次元の美少年でした。元々アイドルやってたり、刀ミュとしても音曲祭で浦島と二人前説やったり何かと場数は踏んでいる子なので最初から気になるところはあんまりなかったのでアレなんですが、初演では気づかなかったものの日向くん実は困惑しているシーンのほうが多いんだな、と言うことに気づきました。ニコニコ梅干し配ってくれる印象が強かったんですが、祭り上げられてもあくまで割り切ろうとするところや子どもたちによく頑張ったね、と声をかけるなど別に戦いたくて戦ってるわけじゃないんだよな、、、というのを実感させられたり、戦国大名の刀だった彼が本丸では平和な部分を担っているというギャップがあることに気づかされました。

日向くんは割り切り上手、上手くやろうという言葉からもそつなくこなすことを是とするイメージがあったので、今回の葛藤する姿を見るとしんどくなりました。

 

あとみんなちょっと痩せてる気もしました。過酷さがわかる……。

 

感想【2部】

セットリスト

  1. オープニング
  2. 新曲→MC
  3. Supernova ※松井ソロ
  4. Yellow Sac Spider ※豊前・大倶利伽羅
  5. Be Cool! ※浦島・日向
  6. In My Groove ※鶴丸ソロ
  7. Free Style
  8. YUKARI ※太鼓曲、脱ぐ
  9. 戦うモノの鎮魂歌 ※歴キャス
  10. 刀剣乱舞

昨年との変更点、相違点など

2曲目が2020年版ではFree Style→完全新曲に変更

7曲目が2020年版ではタカラモノ(おそらく客降り用だった)→Free Styleに変更

演出面も大きな変更はなく、目立つところでいうとM1の仮面と襖、M5のダブルダッチなどは2020年版から変わっていません。

衣装も昨年と同じなので、YUKARIで太鼓叩いて衣装脱ぐのも変わりなしです。

昨年は急なコロナ禍での声出し禁止があったりしたので、家臣たちからのしっかりした前説があったのですが今年はそれがカットされ、開演前のナレーションに集約されていたのも変わっています。

感想

1部が地獄の業火のインフェルノ!!!!!!!!!!苦しめ!!!!!苦しい!!!!!ギャン泣き!!!!!!なので2部がなければ家に帰れない。そんなレベルです。まあ地獄のまんま終わる刀ステもあるんですが

 

ミニアルバムも配信されていてある程度曲を把握した上でも2曲目でいきなりサプライズを食らったのは泡吹きました。

最近こういうScarlet Lipsから連なる感じの曲が増えてきたのがものすご〜〜〜〜〜〜く嬉しいんですけど今回もその感じだったのでめちゃくちゃ良かったです。

松井ソロもレベルアップしていたのもあってですがキレッキレだし美しいしそれでいて凄みがあるのでもう、なんかもう、よくわかんない感情。

衣装は王子様だしかっこいいし、、、は〜〜〜〜…………。

Yellow Sac Spiderはオシャレでとってもかっこよくて最高なんですが今回ますます最高でした。豊前やっぱりめっっちゃ足上がる。すごい。どうなってんの。大倶利伽羅がものすごく歌が上手いので安定感があるし聞いていて安心感があるというか。

ノリもよくてライブ向きだし本当にいい、大型ライブならいろんな組み合わせでもやれそうな1曲。

Be Cool!はダブルダッチが大変そうですがノリもよくて「断然君に恋してる!」のようなキラキラアイドルポップとも通ずるかわいらしさと華やかさがあって2人のキャラクター性にぴったりな1曲。歌詞もかなり言葉遊びのような雰囲気があって楽しい。

これもやっぱりいろんな組み合わせでやれそうなのでミュ本丸の刀剣男士がダブルダッチ必修になる日も近い……?

私は運動神経が無いのになんでか小学生の頃にダブルダッチをやった記憶がありますが、運動神経がある人なら大人になってからでも全然出来ると思うのでいけそう

 

鶴丸ソロはものすっっっっっっごく好きなのでイントロからテンションがぶち上がる。でも三日月もバラードのEndless Night→アップテンポなMirageだったので同じ流れを踏襲しているのかも?と思うと恐ろしい。

このメンバーは松井ソロもですがオシャレで広がりを感じさせるような、スケールの大きい曲がよく似合うなとも思いました。

 

M7はもう聞き慣れた?Free Styleでしたが本当に爽やかで、シングルカットしてもおかしくないなとも思うんですが先に配信されたのでA面にはならなさそう?

音曲祭のようなイベントだと気になりませんがパライソとしてみると1部とのギャップが一番大きい曲なのでなんかこう色々凄まじいな、、とはなります。

 

M8、YUKARIは楽しい。めっっっちゃくちゃに楽しい。

歴キャスによる太鼓を引き継いで刀剣男士も太鼓を叩くので迫力がすごい。

そして脱いでもすごい。鶴丸は背中が大胆に開いてる三日月リスペクトっぽいホルターネック風衣装、浦島、日向はアレンジされたようなTシャツ型、大倶利伽羅はタンクトップ型、松井は戦闘衣装と同じフリフリついた長袖+片腕(片肩?)露出とまあまあ露出は控えめな方だな〜〜〜〜と思ってたら豊前は何故か腹筋丸出し(なんで???)

初演で死んでるのでもう今更鼻血を吹いたりはしませんでしたが、見れば見るほど豊前江に腹筋出させましょう!!!!!!って言った人に感謝を述べたい。

あんなバキバキで美しいの2次元でも滅多とないですから。セクシーとかよりはどっちかというと綺麗だとか美しいとか造形美の観点で好きです。

 

で、こんなお祭り騒ぎの後にレクイエムやるのは温度差で耐えられないけどまあこれが刀ミュなんだよな、、という謎の納得感。

子どもに歌わせるだけで秒で本格的な激重社会派ミュージカル(というかレミゼのガブローシュ)っぽくなるのはなんでだ。

どっちかというと子役の芸歴は劇団四季みたいだけれど。歌が上手い。

 

ここまで誠治郎さんの話をしてこなかったんですがこの方については見てくれ!!!!!としか言い様がないので……2次元(ゲーム)のアクションを超えてる実績があるからやっぱり質が違う。

 

定番の「刀剣乱舞」の歌詞、ちゃんと聞き取れてないところもあるんですけど曲のアレンジがちょっと違う?のか、ちょっと違った雰囲気になってる気がしたんですが気のせいでしょうか。

 

全体について色々

先ほどの「刀剣乱舞」のアレンジのこともそうですが、今回は1部でも松井江の曲を中心にパイプオルガンっぽい音を採用していたり鶴丸に「オーケストラ」を意識した曲を歌わせたり意識的にしていて、全体の作りもそれこそ「レ・ミゼラブル」みたいな海外原作で日本でも人気のある民衆VS.体制の戦(いわゆる革命)のフォーマットを使用していたりとこれまで「和モノ」のイメージで売ってきた刀ミュが楽曲含めて洋風寄りになっていたのは大きな変化かもしれません。

東京心覚が現代劇の手法を用いて、曲に流行を意識したような部分があったのもパライソを踏まえていればまあ妥当というか、もうそれしか新しいやり方ってなかったのかもなぁ、と好みの問題はさておき多少納得は出来たり。

 

ストーリーもこれまでが徳川を中心とする体制側について歴史を守っていたのに対して今回はいわゆる敗者側にも寄り添い、その中で「白と黒に分かれる戦はない」とまで言った上で改めて史実を守るために島原の乱を発生させ、体制側からも正しい歴史の流れに引き戻す働きをするという言ってみればマッチポンプ的なやり方で歴史を守っているというのがかなり異質。

 

昨年パンフで語られたように敗者の歴史を描くというコンセプトはあったようですが、そのほかにも歴史を守ること、刀剣男士のやっていることって一体何なんだろう、という一種の空しさというか、彼らが背負う使命のどうしようもなさみたいなものも感じさせる部分がある作品だとも思います。

 

それこそ鶴丸は三日月に対して全員救ってやれとまでいうほどに情が深い刀であるからこそ割り切っていなければやっていけないと自らと仲間に言い聞かせ、あくまで任務に、己の役割を果たすことに忠実であろうとしているわけで。

 

これまでにやってきた自分の元主が死ぬ歴史を守ることと違うのは、元主という親密な関係性があっても史実でも亡くなっていることを彼ら(刀剣男士)は冷静に理解していて、任務の中でも主ともう一度話せたという救いがあったり、何らかの出来事を経験することで「やっぱりあそこで助かって、長く生きていて欲しかったというのは自分のわがままかもしれない」などと思わされて納得する、乗り越えるというプロセスがあったのであまり「歴史を守るってなんだろう?」というところまで思い詰めずに済んでいたのかもしれませんが、今回はその真逆なのも恐ろしいところ。

パライソでは史実には記録されていないような無辜の子どもたちをわざわざ巻き込んでいて、物語としてもキーパーソンに据えていて、一見いつもの「死ぬはずの大好きな元主」が「知らない子どもたち」にすげ変わっただけともいえるところから刀剣男士たちも割り切りそうなところを、実際は彼らが死ぬ歴史を守るとなるとやっぱり刀剣男士としても「どうして」「救えたはずじゃないか」という反応を見せていて、やっぱり刀剣男士になるような刀とその付喪神はそれだけ人に愛されて、愛してきたんだろうなぁとしんどくなりました。

刀剣男士はそもそも人間が居ないと生まれなかった道具の付喪神なので、他の自然神などよりは人間に対して愛情はあると思って見ていますが、だとしたらやっぱりあまりにも救いがない。むしろきっと自分を責めてしまうことの方が多いでしょう。

自分が巻き込まなければ少なくともあの場所であのような形でこの子どもは死んでいなかったかもしれない、と思う余地が多すぎる。

松井江に限っても、血にまみれた過去に囚われているようなことも言いますが、一方でキリシタンを「撫で切りにした」はずの大名の刀だったにもかかわらず、ストレートにキリシタンを思わせるような洋装に身を包み、胸元に秘密(ロザリオや十字架関係とも考えられる)を抱えて顕現しているの、いろんなものを背負いすぎでは……?

他にも殺した・戦った相手の逸話によって姿や名前を得ている刀(南泉一文字やW山姥切など)もいますが、他の来歴が比較的はっきりしている細川にゆかりのある刀、例えば歌仙兼定は36人斬り殺したという元主のマイナスなエピソードは名前として残っているものの、さほど後悔や元主の行いに対する否定やトラウマ発言もせず、「元主が文化人だから歌人のような姿なのかな」と思っている人も居そうなデザインになっているので、それと比べてもやっぱり異質な部分があるというか、精神的な面では脆さや危うさを抱えているのかもしれないな、と刀剣男士によっても歴史を守ることへの耐性には個刃差が大きいのだろうと考えさせられます。

 

長々と書いてしまいましたが、やっぱり2回目だとさほど衝撃、みたいな部分はなくて、どちらかというとよく考えてみれば、、、のような思い出し系後から来るキツさに胃もたれする割合が多い体感です。

 

丸1日考えてたら疲れてしまったのでこの辺で。

また凱旋が終わってからも書きます。