【余談】私がプロデューサーになった経緯
あくまで一人のプロデューサーが今プロデューサーをやっている経緯です。
面白い話でもためになる話でもないと思いますが、よろしければお付き合いください。
中学時代にゲームに「呑まれた」こともあり、高2の9月末まではゲーム特にスマホゲーほとんど禁止してました。
あまり余裕もなかった、といえばそうなのですが。
しかし。
まずFGOを入れてスマホゲーへの抵抗がなくなると、その時期にEoJが放映になりました。
そのままSideMのアニメを見て、17年最後の試験が終わるころにエムステを始め…。
沼に向かって突撃。
実は、というほどではありませんが、モバMでSideMの存在を知っていたことからアニメを見始めました。
それまではまったく情報を仕入れておらず、エムステが配信されていたこともまったく知りませんでした。
モバMは事前登録あたりからやっていたのですが、端末の事情など色々あって2年近く離れていました。
そしてアニメを見るにあたって思い出した一人の存在。
メインビジュアルでもう一度惚れた人こそが―――桜庭薫でした。
慌ててモバMのマイデスクにログインすると、2年前の私はリーダーを桜庭薫にしていました。
もうこれは運命だ、と。
やっぱり好きな人変わっていませんでした、セカライ組すらよくわかっていませんでしたが、それでも揺らがなかったので多分本当に好きなんだと。
ちょうどプラチケを大量にもらったタイミングで(ログインしてなかったせい)桜庭オフショが来て、1枚ですが引けて、これはもう、運命だと。(何度でもいう)
※一方、エムステでは桜庭難民やってます辛い
そして「出戻り」としか言えない状態で、いまさらと思えるほどにたくさん曲を集め、ゲームを必死にやって、抜けていた時間をどうにかこうにか濃縮して楽しんでいます。
エムステ初めて間もなくぎふぬいをオーダーし、3rdライビュも行きました。
やっぱり私は忘れられなかったらしいです、桜庭薫、大好きです。
ピエールくんも、麗さんも、同じ大切な担当です。
これからもプロデューサーでいさせてください。
ただのファンだった私が好きだった人を、プロデューサーとしてまた好きになることができてよかったと思います。
これからも全力で応援します。
頑張ろう。財布。