Stellar Interlude

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【雑記】「もの」が語るということ

このツイートしてるのでお察しの方もいるかと思いますが。

また色々思うことがあって、改めて書きたくなったので。映画の内容とはあまり関係ない、とうらぶ全体に関する雑記です。

「ものが語る故、『物語』」。

みかじいの声で再生される、馴染みのフレーズ。

でもこれってものすごく画期的で、今までになかった歴史の語り口だと思うんです。

例えば大河ドラマ、あれは基本的に特定の人物を主人公に据えて、その人の人生を追う形がテンプレ。 そう思うと、とうらぶのやってることってそれをひっくり返すようなことではないでしょうか。

刀剣男士は人の形をしていても、「もの」なくしては存在できない付喪神であって、人間ではない。 そして彼らも色々な歴史の波にもまれていて、最後までひとりの主人・家系に大切にされたものもあれば、時の権力者に翻弄されたもの、あるいは主人の「最期」に使われたもの、武器として扱われなかったもの……などなど、一筋縄ではいかない過去をもってるんですよね。

ものだからこそ、様々な家を戦利品として渡り歩いていたり、かつての主人が次の主人の敵になったり、そういう人間では滅多とないことも経験しているわけで。

そんな彼らの語る歴史の何がいいって、今までの歴史物にはない「客観性」があるところだと私は思ってます。

特定の個人を主人公にしてしまうと、どうしてもその人にとっての敵や味方という描き方になってしまって、結局のところ想像でしかわからない主観がメインになってしまって。 勿論、大河「ドラマ」ならそこを楽しむものだといえばそれまでなんですが……。

私にはどうにもそういう描き方が合わないので、人の生き様を見てきたからこそ出てくる、熱くて冷たい「もの」たちの俯瞰的な語り口がものすごく心地よく感じました。

メディアミックスではよく「どうして歴史を変えてはいけないの?」というような問いが劇中で登場しますが、これはまさに「もの」だからこそ意味を持つ言葉。

人間だとやっぱり御涙頂戴とか、人として~とか倫理的な結末に持ち込まれてしまうところを、彼らはただただ「それが今なすべきことだから」「未来のために守らねばならないものだから」と、どこまでも「刀剣男士」の任務だからと割り切るように言うんですよ。

あくまで「もの」として人間に忠実で、人間に利用されることを仕事としてきた彼らの立場だからこそ出てくる「悟り」の視点。

それぞれが主人や自らの過去に対して色々な思いを抱えていながらも、最後には「もの」としての使命を全うする姿はぞっとするほど冷たくて、それでいて美しくて。最初から人の心など解さないことが当たり前の存在にしか許されない振る舞いでもあって……。

刀も含めた「史料」は人間には語れない歴史を伝えてくれる存在なんだということを再認識させられました。

まとまらなくなってきたのでこの辺にしておきます……。

とにかくなんだか凄いジャンルです。はい。ではまた。